奥田進一(拓殖大学教授)
私とモンゴル国との関わりは、1999年に始まる。翌年に、中国内モンゴルで知己を得たモンゴル族の友人が起ち上げた植林NGOに理事として参画し、後にこれをNPO法人化して、大学生を主とする多くの人々を組織して内外モンゴルで植林活動を行い、それなりの実績をあげてきた(NPO法人内モンゴル沙漠化防止植林の会)。私が所属するNPOの植林方法には、2つの大きな特徴がある。1つ目は、生物多様性を意識することである。植林時には、苗木が育った土中の環境を維持させ、さらに木が成長して林を形成した時に、針葉樹や広葉樹がバランスよく生育している景観を予想して植えるべき樹種を選定する。2つ目は、植林自体を目的にしないことである。植林によって砂漠化は防止され、二酸化炭素の吸収源が形成されるが、それは植林する側の理屈である。植林による利害の影響を最も受けるのは、植林地の住民である。住民にとって利益になるような植林を考え、良好な草地が回復できれば、植えた木を伐採することもあり得る。要するに、「植林」というのは、ただ穴を掘って木を植えるだけの単純作業ではなく、システムを構築する創造的活動だということである。
モンゴルでの植林活動は、本来は苗木の活着率が最も高くなる5月または10月に行うのが最適であるが、植林ツアーの実施は学生や社会人の休暇にあわせて7~8月に行わざるを得ない。ステップ気候のモンゴルの夏は、日本のそれと比べたら格段に涼しいものの、夏季の陽射しは強く、広大な草原や砂漠ではそれをさえぎるものがないため、ポットの中で大事に育てられてきた苗木などは、植えるそばからたちどころに乾燥して枯れてしまう。そこで必要になるのが、井戸を掘削して地下水を利用することである。著名な大河川があるわけでもなく、国土は亜寒帯冬季少雨気候、ステップ気候、砂漠気候のいずれかに該当するため、水資源に乏しいことは誰の目にも明らかである。モンゴル国の1年あたりの水資源総量は608.3㎦/年で、その内訳は湖水が500㎦、氷河が62.9㎦、地表水が34.6㎦、地下水が10.8㎦と推定されているという(佐藤寛『モンゴル国の環境と水資源』(成文堂、2017)10頁。)。このデータからも、モンゴル国の水資源事情はとても厳しく, 不安定な状態におかれていることがわかるが、じつは世界第4位の人口密度の低さ(2023年現在)と、農業灌漑用水利用が極端に少ないという事情により、植林のために井戸を掘削して地下水を利用したところで、少なくとも大草原の地下水資源賦存量への影響はほとんどない。ところが、首都ウランバートル市では、かなり深刻な水不足と水汚染問題が発生している。
モンゴル国の人口は日本の約36分の1の約345万人(2022年現在)だが、その半分の約170万人が面積約4,704.4㎢の首都ウランバートル市に居住している。ウランバートル市から約240㎞北西に所在し、アジア最大の銅鉱山がある第二の都市エルデネト市の人口が10万人強であることを考えると、ウランバートル市への人口集中がいかに異常であるかがわかる。首都への一極集中は、いわゆるストロー現象による人口増加よりも、冬季に草原地帯を襲うゾドと称される雪害が圧倒的原因である。ゾドは、家畜の大量死の原因であり、唯一の財産である家畜を失った牧民は大挙して大都市、とくに首都ウランバートル市を目指す。ウランバートル市に移住した牧民たちは、郊外の丘陵地帯に簡易な住宅を建てて住みついている。このような住宅地はゲル地区と呼ばれ、上下水道等のインフラが未整備のため、住民は丘陵地の地下水や湧水を利用するが、生活排水はそのまま土壌を通じて地下水を汚染する。その汚染地下水による水系伝染病も多発している。じつは、ウランバートル市の人口の70%以上がゲル地区に住んでおり、年間30,000人ずつ増加しているという。
ウランバートル市の水源は、市内を流れるトゥール川の伏流水、すなわち地下水である。トゥール川は、ウランバートル市の北東約50㎞のゴルヒ・テレルジ国立公園内を源流として、最終的にはロシアのバイカル湖に流れ込む、全長704㎞、流域面積49,840㎢の国際河川である。近年は、ウランバートル市内等からの生活排水や、流域各地の鉱山から排出される重金属類などによる深刻な汚染が報告されている。ウランバートル市内には、トゥール川の伏流水を汲み上げるための4つの水源地が設けられているが、水汚染に加えて施設の老朽化による機能不全が目立っていた。そこで、モンゴル国政府は、トゥール川の良質な上流水源の再開発および施設を更新する「ウランバートル市給水施設改善計画」を策定し、この計画のための給水施設の改善等に必要な資金につき、日本国政府に対して無償資金協力を要請した。日本国政府は、2004年度から3年間の計画でJICAを通じて総額16億2,700万円の政府開発援助(ODA)を行った。
ウランバートル市給水施設改善計画の実施から約20年の歳月が流れ、ウランバートル市および草原には、急速に深刻化する気候変動によるあらたな水問題が発生している。それは、ゲリラ豪雨とそれに起因する洪水被害である。もともと乾燥地帯で降雨量の少ないモンゴルの土壌は保水力に乏しく、大雨に見舞われるとたちどころに河川が氾濫して水浸しになるが、過去にそのような状況に至った事例はほとんどなかった。ところが、2023年7月に、ウランバートル市周辺や北部セレンゲ県を中心に観測史上例のない豪雨に見舞われ大規模な洪水が発生し、市内中心部では床上浸水、断水や停電等の被害が生じ、数百人が緊急避難した。豪雨は長引きさらに被害は拡大し、モンゴル国政府は非常事態宣言を発した。草原でも、河川の氾濫によって羊や馬の餌場が長く水に浸かり、牧民たちは夏場にも前述のゾドによるのと同じような影響を受け始めている。ちょうど2023年7月は、世界平均気温が観測史上最高記録を大幅に更新したということで、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が「地球沸騰化」という表現を用いて警鐘を鳴らしている。わが国でも、もはや夏場のゲリラ豪雨と大水害は恒常化しており、それが気候変動の影響であることはいまさら言うまでもない。
私の植林ボランティア活動は、今年でちょうど四半世紀を迎える。はじめは籠で水を汲むかのごとき苦労をしたが、いまは大水に飲み水なしで頭を抱えている。後進にこの活動をバトンタッチできるように、いま少し試行錯誤を繰り返してみたいと思う。