本学会理事の宮永と申します。早いもので、理事職を拝命してから5年あまりの月日が過ぎました。しかし恥ずかしながら、未だに水資源・環境問題の専門家という自覚を持てず、水資源・環境研究者と名乗るのをためらう自分がいます。「とにかく水資源・環境研究は難しい」という、畏怖にも似た感覚が、心の中にずっとあるからです。この点に関連して、私がいつも思い浮かべるのは、次の一節です(Boulding 1964, 86)。
Water is far from a simple commodity,
Water’s a sociological oddity,
Water’s a pasture for science to forage in,
Water’s a mark of our dubious origin,
Water’s a link with a distant futurity,
Water’s a symbol of ritual purity,
Water is politics, water’s religion,
Water is just about anyone’s pigeon.
Water is frightening, water’s endearing.
Water’s a lot more than mere engineering.
Water is tragical, water is comical,
Water is far from the Pure Economical,
So studies of water, though free from aridity
Are apt to produce a good deal of turbidity.
 この詩の作者は、K.E.ボールディング(1910-1993)という経済学者です。「宇宙船地球号(spaceship earth)の経済学」や「贈与の経済学」など、狭義の経済学の枠に収まらないテーマを次々と論じては人々を驚かせた、博覧強記の人でした。20世紀を代表する、社会科学の知の巨人の一人といってよいでしょう。そんな彼には、実は水問題に関する研究業績もあり、この一節は、そこから引用したものなのです。サイエンスとアートの双方の素養がとめどなくあふれ出たこの作品に、日本語の訳語を与えることは、私の能力を超えます。さしあたりここでは、水資源・環境問題の幅広さ、そして水資源・環境研究の奥深さという現実を、みなさんとともに噛みしめたいと思います。
 しかし、いくら水資源・環境研究が難しいからといって、ずっと途方に暮れ続けているわけにもいきません。では、私のような研究者はいったいどうすればよいのでしょうか? この点について、今でも強く印象に残っているのは、尾田榮章氏(元建設省河川局長)がかつて私におっしゃった次の一言です。
 「宮永さん。水問題というのは、誰もが“専門家”になれるんですよ。」
 水なしに人間は生きられませんし、社会は存立しえません。つまり、人間や社会があるところ、必ず“水問題”が存在するわけです。それを逆手にとって、「どんな切り口からでも人は水問題に接近できるのだ」ということを、尾田さんは言いたかったのだと思います。その言葉を鵜呑み(!)にして、水研究者コミュニティの末席を汚し続けているのが、現在の私ということになります。
 ですが、まだ話は終わりません。仮に、各々の研究者が“専門家”として水研究を進めた結果、知識が個別的に生み出されたとしましょう。しかしそれで果たして、水資源・環境学という研究領域が総体として進展したといえるのか、という問題が残されているからです。もちろん、私などが簡単に論じられるテーマではありませんが、一つだけ言えるとすれば、ここにこそ「学会」という仕組みの存在意義があるのではないか、ということです。「インターネットの普及や専門分野の細分化が進んだ結果、研究者にとって学会の意義は低下したのではないか?」「それよりもむしろ、研究プロジェクト単位での議論・学びの方が、効率的に知的見返りを得られるのではないか?」ここ最近、研究者の口からそんな声がよく聞かれるようになりました。しかし、私の考えはノーです。「どんな切り口からも接近」できて、“専門家”になれるからこそ、さまざまな他者の知識を学んで自らの研究にフィードバックする、そしてその営みの積み重ねを通じて水研究の共通の知的基盤を創造する、といった機能が貴重であり続けると考えるからです。みなさんはどうお考えでしょうか?
参考文献:
Boulding, K.E. (1964) The Economist and the Engineer: Economic Dynamics of Water Resource Development, in Smith, S. C. and Castle, E.N., Economics and Public Policy in Water Resource Development, Iowa State University Press, pp. 82-92.
京都産業大学 宮永健太郎
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