地域社会研究所 大橋 浩
夜11時、「お水汲んできて~!」と女房殿が叫ぶ。明日は初釜、我が家の氏神様の「不二の水」がどうしても欲しいと言います。藤森神社まで電車では行こうと思っても、帰りは電車がない時間になってしまいます。少々アルコールが入っているので車でと言うわけにもいかず、仕方なく自転車の籠にポリタンを入れて、押して歩いていく。往復徒歩で2時間弱です。年明けの真冬の寒さは身にしみます。「なんでわたくしめが」と恨めしくとぼとぼ歩きます。
東福寺境内から南へ山裾の道へ歩いていきます。東福寺も若年の頃とは様相を異にしています。昔は紅葉の頃でも観光客はさほどではなく紅葉の下で軽くいっぱいしながら十分に秋を楽しむ姿もよく見かけたものですが、今はそうはいきません、朝の開門8時前にはもう拝観待ちの長蛇の列が出来上がっています。昼間と言えば、歩くのにも苦労する、四条河原町の繁華街どころではありません。急用で車を出そうとしてもかないません。どうしてもという時にはガードマンさんの協力を得て小さくなって車をだすことになります。帰りは観光客が少なくなる5時ごろまで喫茶店で時間待ち珈琲タイムとなります。お客をもてなしたいという気持ちと住民に与える影響、なかなかむつかしい課題です。
写真 東福寺 拝観待ち行列
20分ほど歩けば伏見稲荷大社、多くの海外からのお客様でにぎわっています。毎日がお正月のような賑わいです。10年前とは大違いです。日本一の観光地とのこと、密に立ち並ぶ鳥居の朱色、入場料無料が人気の理由だそうです。参道入口の大鳥居まえのコンビニは日本一の売上とか。マナーの悪いお方も多いらしく、ポイ捨て芥が多く神社、地元の方々は清掃に頭を悩ましています。日本人のマナーの良さに改めて気づきます。入山制限といったことにならぬよう観光のお客さんにも意識を高めてほしものです。とにもかくにも昔とは大きな違いです。大変な変化です。本当にびっくりです。でもお賽銭はそんなに伸びてないそうです。
一方、稲荷山の方に目を移しますと、前々年の台風で倒れた倒木があちらこちらに数多く見受けられたのを思い出します。中学生の頃ほぼ60年前、近畿地方に大きな被害を与えた伊勢湾台風、東福寺や稲荷山にも倒木などの被害をもたらしました。東福寺の通天橋を流出させたのもこの台風です。台風の通過時には、強風がガラス戸を押す時にはガラス戸を押し、風が引く時にはガラス戸の桟を引っ張り、懸命にガラス戸が風に壊されないよう守った記憶があります。全くもって華奢な家屋であったものです。恐ろしい夜が明け、外の様子を見に出ますと枝や葉が散乱し倒木もあり様相を一変していました。臥雲橋から川上を見ると何か物足りない、しばらくして通天橋が消滅しているのに気づきました。山はと言えば、杉木などが数多く倒れているのが見受けられました。山道をふさいでいた木々もほどなく除去され、山肌に倒れていた倒木も1年後にはもうなくなっていた記憶があります。3年前の台風による倒木はいまだに横たわっているものや短く裁断され近くに放置されている。地域をケアする力が落ちてきているのを痛感いたします。竹林も維持管理する人がいないのか荒廃しています。おいしいタケノコが出る状態からはほど遠く感じます。
伏見稲荷大社を横切ると静かな住宅地、この辺りの雰囲気は大きくは変わっていないようです。黄檗宗石峰寺もこの辺りにあります。伊藤若冲の五百羅漢で有名です。心の和む私の好きな寺院の一つでもあります。幼いときにはよく遊びに来たものです。
名神高速道路の下を横切りしばらく歩くと、目指す藤森神社にやっと到着です。
藤森神社は閑散としています。小生の幼かりし頃とほぼ変わらない雰囲気で落ち着きます。伏見稲荷大社とは大違いです。普段の夕方にはお水をいただく行列ができていますが、さすがに夜中は誰も列をなしていません。気を遣わず汲むことができます。小生の幼いときには湧いているんやと親父が言っていましたが、今は、地下90メートルからくみ上げられているとのことです。この水は「不二の水」と言われ、「二つとないおいしい水」という意味だそうです。武運長久、学問向上そして勝運を授けてくれる水として信仰されています。女房殿は初釜の時には、「『不二の水』二つとないおいしい水で点てました、武運長久、学問向上そして勝運を願い、おいしくいただいてください」、とでもいうのでしょうか。不二の水 の傍らには、水六訓の立て札があります。1.水は尊し 2.水は美し 3.水は清し 4.水は強し 5.水は恐し 6.水は深し と記されている。水にかかわって仕事をしてきた者としても、肝に命じておかなければならない事項です。身近においしい名水があり気軽にいただくことができる大変恵まれた環境です。
神社にお参りし「不二の水」をいただきました。寒さもありすっかり酔いは冷めてしまいました。あとは自転車で帰るだけです。家近くになり町内のことが思われます。先ほど話に出しました伊勢湾台風の頃は、若い人も多く元気な町内でしたが、今はと言えば見る影もない、超高齢世帯ばかりです。若人は核家族化で転出してしまい、盆・正月、区民運動会、お誕生日など行事に帰ってくるくらいのようです。全くもって世代交代がうまくいっていません。京都市内でありながらこんな状況です。いわんや地方においてをやと思います。人口急増時代に打たれた施策のしっぺ返しのように思うのは小生だけでしょうか。
「ただいま、不二の水 いただいてきたよ~」 あとはもう一度、あったかくした飲み物を美味しくいただくだけです。
静かで、澄んだおいしい空気、景観、ちょっと足をのばせばおいしい名水も汲める恵まれた環境を享受し毎日生活していますが、観光の地域に与える影響、山林・竹林の荒廃、地下水位の低下、地域の高齢化・世代交代の問題等々住む環境が急速に変化していることを他人事でなく改めて感じる1時間半でありました。