西田 一雄(地域環境システム研究所)

はじめに

京都から大津に引っ越して早5年が経ちました。住めば都とよく言いますが、実感しながら暮らしている毎日です。特に今年はコロナウイルス禍の影響で自粛生活が年明けからはじまっていますが、感染しないで元気に暮らしたいものです。古稀過ぎて何かと体力や免疫力が衰退する中、予防には適度な運動、ストレス発散、適度な飲酒と食欲充実が必要と感じています。なかでも、感染防止には適度な運動が不可欠ですが、皆様も苦慮されていることでしょう。結果論となりますが、大津への転居が感染防止に大いに役立つ居住環境になっていることを水資源的な話題を踏まえてご報告したいと思い、今月のブログに投稿いたしました。

琵琶湖疏水について

京都、滋賀の人で「疏水」と聞いて知らない人は無いと思います。その疏水は「琵琶湖疏水」と称し、今年竣工130周年になります。今年、文化庁による「日本遺産」に選ばれたようです。本学会でも京都蹴上にある琵琶湖疏水記念館を見学したこともありましたが、明治の土木工事で日本人だけの手で設計から材料調達、トンネル資材のレンガ作りから工事までを自力で達成した偉業です。明治維新に東京遷都された京都の復興をかけて計画された水資源活用の大プロジェクトでした。琵琶湖の水を水運、発電、飲料水、庭園用水に多目的に活用することを目的に、三井寺に近い湖畔三保ヶ崎(琵琶湖周航の歌で知られる京大ヨット部施設がある所)からトンネルと水路で京都の蹴上を経て鴨川に接続し、そのまま鴨川運河として南下し、伏見・濠川に至る約20㎞の人工水路です。また、蹴上から分岐した疏水分線は、南禅寺の境内を水路閣で有名な水路橋を通って、銀閣寺に通ずる自称「哲学の道」沿いの水路として親しまれています。

琵琶湖疏水の工事は、第3代京都府知事の北垣国道が復興プロジェクトとして南一郎平、島田道生技師に命じ、工部大学校を卒業したばかりの田邊朔郎を土木技師に採用して着手された工事で、明治18年(1885年)に着工され、5年後の明治23年に完成したものです。現在でも稼働している蹴上の水力発電により、市電が運行するようになり、工場が誘致され、飲料水が供給されるようになりました。さらに、南禅寺の広大な用地を明治政府が民間の別荘用地として開発し、当時の政財界の要人が入植するとともに、造園家小川治兵衛によって作庭された名勝庭園群をいまに残しています。この庭園群の池の水も疏水の活用による文化財として現在も生きています。まさに100年を超える都市づくりの水資源活用の好例と言えるのではないでしょうか。

現在に活きる水と土木技術が身近に感じる琵琶湖疏水です。京都市内の疏水沿いは観光スポットとして有名になりましたが、明治時代は、水運も盛んで琵琶湖の三保ヶ崎に大津閘門、第1トンネル洞門から蹴上の船溜まで計3つのトンネル(現在は、昭和のJR湖西線開発に伴い諸羽トンネルができ4つとなっている)で結ばれ、蹴上には高低差36m、全長582mのインクラインがあり、舟が上下していました。各トンネルの洞門には当時そのままの花こう岩製門柱や伊藤博文、山縣有朋筆の扁額があり、工事に用いたレンガ造り竪坑は今も残っています。疏水にかかる橋も当時のままのものもあり、第11号橋は、日本最初の鉄筋コンクリート橋と言われており、田邊朔郎の設計です。東山の第3トンネルを出たところから、この疏水に沿って散策路や公園、著名なお寺が続きます。西から本圀寺、天智天皇陵、安祥寺、洛東高校、諸羽疏水公園、一灯園(写真1)を経て第1トンネルの西口洞門(写真2)に至ります。この第1トンネルが難工事と言われ、長等山(三井寺の裏山)を超えて大津に出ます。この長等山を越える山道が「小関越え」で、ちょうどその道の下を第1トンネルが通っています。

一灯園.jpg

写真1 疏水散策路 一灯園付近

写真2 第一トンネル西口洞門

小関越えについて

小関越えは、旧東海道から分かれて三井寺に参拝する参道です。現在は、京都東インターチェンジができて様子が変わりましたが京阪電鉄京津線に「追分」という駅があり、近くに東海道から分かれる髭茶屋追分(山科追分)の道標あります。この髭茶屋追分は、江戸時代に開かれたと言われ、東海道五十七次として三条大橋に向かわず伏見宿に向かう道筋です。徳川家康が、京都の公家衆と交わるのを嫌って設けられた大阪への道筋といわれ、追分では、大津絵が盛んだったと聞きます。その京阪追分駅よりも京都よりの旧東海道筋に三井寺観音道という大きな石碑(写真3)があります。そこを左に折れてまっすぐ歩くとJR線に突き当たります。JRが京都から大津に行くトンネルの入り口ですが、そのトンネルの上に道路がありトンネルを超えると道標があります。左に行くと琵琶湖疏水の第1トンネル西口洞門(写真2)が見え、疏水沿いの散策路へと続きます。道標に従って真っすぐ行くと右に日蓮宗寂光寺があり、そこからが小関越えの始まりです。もともと東海道の逢坂の関で知られる道筋は大関越えと言われてこともあり、三井寺に出る近道は間道で、小関越えと呼ばれたようです。その小関越えは逢坂山と長等山の境にあたり、沢的な地形のことから琵琶湖疏水の最適ルートと考えられたようです。この小関越えの道筋に、トンネル工事に必要な空気の換気口として竪坑が2つ設けられ現存しています。(写真4)当時の面影が残るレンガ造りで、京都の蹴上に造られた工場で製造されたと聞きます。寂光寺から歩いて約30分で小関峠の頂上に着きますが、そこには、峠の地蔵堂(喜一堂、写真5)があります。その後は下り坂で、現在は、広い道路に整備され、大津から161号バイパスに通じる交通ルートになっています。しかし、山間部だけが広い道で、大津に下りたところにある小関越え道標(写真6)付近は小関町の住宅地内の狭い道路に繋がり、大津市街地に連絡しています。このため交通量も少なく散策するにはちょうど良い環境となっています。

写真3 三井寺観音道・小関越道標

第1竪坑.jpg

写真4 小関越えレンガ造りの第1竪坑

写真5 小関峠の地蔵堂(喜一堂)

     

写真6 大津小関町 小関越え道標

健康散策について

私が引っ越したマンションは、この琵琶湖疏水第1トンネル西口洞門を見下ろす藤尾台という丘にあり、歩いて2分程度の距離です。琵琶湖疏水公園沿川は、春は桜、秋は紅葉の景観が素晴らしく、季節の変化を感じさせてくれます。この疏水公園と小関越えルートが私の散歩エリアです。疏水に沿って山科方面へはおおむね往復50分、小関越えの入り口を旧村落の藤尾神社までの往復も50分、小関越えして喜一堂を引き返しても50分です。そのルートに適当な折り返し点を決めて、体調と必要時間の兼ね合いで1週間に3~4回程度歩いています。適度な坂があり、道沿いの家の庭や沿道の草花の変化、お寺の樹木などの景観の変化が楽しいです。健康のための散歩や運動は如何に持続できるかがカギだと考えています。そうした持続性の要因に自然の変化、歴史や水利用への思いを取り入れられたと考えています。特に、春の桜の季節は、桜のつぼみが日日変化して色づいていくのが楽しみでです。自然の変化に感心させられ、疏水の流れも季節感があります。冬はほとんどこの疏水には水が流れず、水が流れ出すと春の到来です。それから桜の満開、桜吹雪で桜の花筏が見える頃が最高の景色ですね。桜の下で花見酒が楽しめるのも私の趣味に合っています。水を楽しみ、食を楽しみ、健康を維持できる環境は、本当に良いとつくづく感じるこの頃です。皆様も健康に留意し、コロナに負けずお過ごしください。

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