足立考之((株)プラス設計開発)
我が国の農業用水路は地球10周分。大地に毛細血管のように張り巡らされた水路網の総延長は40万kmにおよぶ。その長さは人間の毛細血管(10万kmといわれる)のそれをはるかにしのいでいる。春夏秋冬、全国津々浦々にさまざまな恵みをもたらしてきた、このような歴史的意義のある用水路の現状はどうなっているのか、用水路探訪に興味をもったのはこの10年ほどの話である。
出典:国土交通省 水利使用許可により環境用水を通水した先行事例(仙台市の事例)
発端は、2005年1月のこと、六郷堀・七郷堀(宮城県仙台市)が全国初の環境用水の水利権を取得し農業用水路の冬水を取り戻したことにある。これを受け国土交通省は、2006年 3月に「環境用水に係る水利使用許可の取扱い基準」を策定し、「環境用水に係る水利使用許可の取り扱いについて」を通達している。環境用水の定義としては、水質、親水空間、修景等生活環境又は自然環境の維持、改善等を図ることを目的とした用水(「環境用水」という)とされた。その背景には、都市水路・下水路・農業水路などにおいて、悪臭発生や汚水の流れ込み、水なし川、ゴミ捨て場、暗渠となって隠れているなど、身近な水辺のうるおいや安らぎが失われてきたという状況がある。とくに高度成長期の都市域の拡大によって、冬に水がやってこない農業用水路(非がんがい期間は農業をしないため)を持つ地域は切実で、こどもの頃のなつかしい情景をよみがえらせようとしているであろう。そのような思い込みも手伝って、河川管理との狭間で課題山積とされていた農業用水の365日通水とその環境的利用についてイッチョガミしてみたいと思うようになった。それは同時に農業用水路の先につながっている歴史的水遺産と出会うこととなる。その一つの例が、仙台市郊外・東部の農業地帯に広がる用水路「六郷堀七郷堀」と。さらに、その向こう側の太平洋沿岸に沿って存在していたのが、歴史的水遺産「貞山堀」の悠久の流れである。
写真1 3.11災害後の貞山運河(2011年6月撮影)–右上は元々の貞山運河(2007年調査時撮影)
助成金を得てテーマにふさわしい用水路を選定、勉強仲間(「環境用水研究会」2007年設立、任意団体)とともに、農業用水の現場を視察することとした。2011年6月に訪れたのが仙台市若林区の「六郷堀・七郷堀」である。3.11東日本大震災の爪痕が色濃く残っていた。この地は国土交通省の通達のモデルとなったので、2006年にも視察している。そのため、震災前の状況と比較することができた。なお写真1.~4.はいずれも同行した仲間の撮影である。
まず、驚いたのが3.11被災(東日本大震災)による風景の変貌ぶりである。もともとは、松林が両岸に並ぶ緑の景観(写真1)が貞山運河の象徴的な姿であったが、その姿は跡形もなくなっている(写真1右上)。この貞山運河は仙台湾に沿って南北に伸び、北の北上川と南の阿武隈川をつないでいる(最初の位置図参照)。その延長約49kmは日本一(ちなみに琵琶湖疎水は約27kmで2位)で、仙台東部地区の雨水排水や内水対策の受け皿となっている。この治水機能に加えて、豊かな自然を今に残す貴重な河川空間である。
震災前の風景については、何年か前の他誌のコラムにつぎのように記したことがある。–「江戸時代から明治時代にかけて数次の工事によって作られたこの運河は、複数の堀(運河)が連結して一続きになったもので別名「貞山堀」とも呼ばれている。宮本常一はその著述『まつと日本人』の中で「砂浜に掘った堀は砂にくずれやすい。その砂くずれを防ぐために堤防に松を植えた。・・・(中略)・・・、この堀とこの松を見るとき、人間のたくましい努力に深く心をうたれる。」とこの運河の歴史的威容とともに先人たちの偉業を賞賛していた。」–と。
東北復興とともに、貞山運河はどのような復元を遂げて元の姿を取り戻したのか。その後は訪れる機会もなかったが、興味が尽きない。
写真2は水田の陥没、底抜けて湛水が抜けた状態である。もちろん耕作もままならない。写真3は用水路のもとの姿。写真4は少し場所が違うが、用水路の土堤・護岸の崩壊の状態である。ブルーシートがかぶせられたままで、修復が追い付いていない。震災直後は河川からの取水・導水もままならず、耕作も放棄されていた。
写真2 陥没した水田、底が抜けて陥没部分に水が溜まっていた(2011年6月撮影)
写真3 元々の用水路の姿、非かんがい期の通水状況(2007年の調査時撮影)
写真4 土堤・護岸が破壊された用水路(2011年6月撮影、写真3と場所は違う)
さて、「六郷堀・七郷堀」の環境用水導水の経緯については、「
水資源・環境研究 Vol. 25, No.2 2012 松・秋山 pp.76〜87」に詳しいのでそれを参照していただきたいが、ここではその一部を引用・紹介しておきたい。「仙台市では下水道が合流式のため、雨天時には過剰な下水が六郷堀・七郷堀に流入して、悪臭発生の原因となった。水質悪化と悪臭対策を求める住民からの苦情が相次ぎ、市としても非かんがい期の通水による水辺環境改善が望まれることとなった。そこで、六郷堀・七郷堀の領域に関係する行政機関が「仙台地域水循環協議会」を1999年9月に設立した。協議会では、農林水産省の補助事業である都市化地域水環境改善実証調査によって1999年から5年間の通水試験を実施し、「仙台地域水循環再構築マスタープラン」の策定と、非かんがい期の悪臭発生や景観悪化の改善のための必要流量を検討・算定してきた。その結果、2005年1月4日、仙台市が環境用水の水利権を取得した。」
当時、環境用水基準の通達にもとづいて環境用水を取得した事例は、①六郷堀七郷堀(仙台市、H17.1.4)、②亀田郷(新潟市、H19.10.18)③堀板(秋田県仙北市、H20.7.4、)、④戸ノ口堰(会津若松市、H21.1.2)、⑤ペーパン(旭川市、H21.2.19)である。そのほかにもあるという話を耳にしたことがあるが、具体的にはほかの事例についてはわからない。いずれにしても、環境用水取得の目的は、浄化・修景用水、水質保全、生態系保全等である。水利権申請の手続きが煩雑、3年ごとの水利権更新(新たに申請すること)など、劣後の水利権であるが故のいくつかの条件があり、その課題が当時から指摘されていた。10数年経過した今日になって⑤のペーパンが環境用水の水利権を放棄(4回目の水利権更新を断念)したという残念な状況も出てきている。環境用水をめぐる状況もさまざまに変化しつつある、注視していきたい。
環境用水の一般的なとらえ方としては、景観の保全、水質の改善、生物の生息環境の確保等の環境水利権取得の要件のほか、住民の効用の視点や地域の便益の観点からは、環境学習や自然体験、親水、防災、熱環境の緩和、市民活動活性化の寄与などと幅広く解釈し、さまざまな環境目的に利用される公共的な用水ととらえる方が腑に落ちるであろう。その方が、春の小川はサラサラ流れ、岸のすみれやレンゲの花に・・・とうたわれた懐かしい水辺の情景に近くなるような気がしている。
そして一言。ブログとは何かがよくわかっていないので、検索してみると、体験したこと、日記のようなもの等々とあって、その種類としては、テキストと写真の組み合わせ、動画だけの場合もある等々とあった。報告や随筆とは違うらしい。今回は、とにかく写真とメモノートを探し出して作成したものである。学会として、いい試みなので皆様の協力で盛り上げていきたい。そのような感想を持ったところである。
2020年10月14日