小幡 範雄(立命館大学名誉教授)
淀川三川合流域 さくらであい館
 自宅から10分ほどで淀川三川合流地点まで行くことができます。今回のブログではこのあたりについて紹介したいと思います。
さくらであい館は淀川三川合流域の地域間交流、地域振興、周遊観光の拠点として2017年3月にオープンしました。東に男山、西に天王山に挟まれた地域です(写真1)。
訪ねた時は5月5日こどもの日ということもあり、バーベキューをする人たち、散策する人たち、そしてサイクリングをする人も多く見かけました。サイクリングと言っても競輪選手のようないでたちで、競輪に使われるようなスタンドのない細いタイヤのサイクリング車に乗っている人が沢山休憩していました。太いタイヤの自転車もありました。スタンドがないサイクリング車は、サドルをバーに引っ掛けて置いていました。もちろん嵐山までのサイクリングMAPもおいてあります。
館内のSHOPでは玉ねぎの皮、ぜんまい、しいたけ、トマト、ほし大根などなど地元の野菜が並んでいました。オリジナルのバック・キーホルダーもありました。私たちはさくら餅アイスをいただきました。アイスの中にピンク色をしたプチプチの非常に小さいお餅の粒が散りばめてありました。
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写真1 さくらであい館(2023年5月5日撮影)
 この館のなかでひと際目に引くものが地上約25mの展望塔です。展望スペースから背割堤の桜並木や天王山、男山などの美しい自然風景が360度パノラマで楽しめます(写真2)。男山は写真2の左端にちょっと見えて、天王山は右側にあります。真ん中に背割堤があります。左に流れているのが木津川、右に流れているのが桂川です。宇治川はこの写真にはありませんがも少し右側になります。
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写真2 さくらであい館の展望スペースからの眺め(2023年5月5日撮影)
背割堤地区
 背割堤とは2つの河川が合流したり、隣あって流れるために、流れの異なる2河川の合流をなめらかにしたり、一方の川の影響が他の河川におよばないように2つの川の間に設ける堤防です(図1)。
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図1 背割堤の模式図
 桂川・宇治川・木津川の三川合流地点付近に、流れの異なる宇治川と木津川を緩やかに合流させ、洪水時の背水の影響を防ぐことを目的に設置されています。洪水発生時に両河川をスムーズかつ安全に合流させる役割を果たしています。
散歩には非常に気持ちのいいところです(写真4)。背割堤上の桜並木は延長1.4㎞、約220本のソメイヨシノが植樹されており、淀川河川公園の景観保全地区にも指定されています(写真4、5)。しかし、2018年9月に襲来した台風21号により、損失23本、大小の被害を受けたもの204本と、全242本(当時)の大半が被害を受けるなど、背割堤の桜並木として過去に経験のない規模の被害となっていました(写真6、7)。倒木や折れた枝等の危険な状況となった桜の除去など復旧作業には2か月間を要しています。
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写真3 バーベキューや寛ぐ人たち(2023年5月5日撮影)
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写真4 背割堤の散歩道(2023年5月5日撮影)
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写真5 背割堤の桜並木(2021年3月24日撮影)
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写真6 台風21号により被害を受けた桜並木(さくらであい館撮影:2018年9月4日襲来)
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写真7 現在養生中の桜(2023年5月5日撮影)
 背割堤はこの楕円錐台あたりで終わり(写真8)。しかし、まだ先がありますが、これ以上はいけません。草がすごく茂っており、その先、宇治川と木津川の合流点は見ることはできませんでした。なぜかここに三川合流までの距離0.0㎞という石碑がありました(写真9)。おそらく背割堤の終点ではないかと思われます。
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写真8 背割堤のおしまい(2023年5月5日撮影)
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写真9 三川合流の始まりの地点(2023年5月5日撮影)
治水の歴史と背割堤
 少しだけ三川の歴史を見ていきたいと思います。
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図2 巨椋池(明治期の測量図):宇治市(2023)『宇治市歴史的風致維持向上計画』を一部改変
 かつては、宇治川、木津川、桂川の三川が流れ込む遊水地帯として巨椋池がありました(図2)。周囲 16 ㎞、面積約 800ha の大きな池です。巨椋池周辺には、弥生時代から人々が居住していたことが確認されていました。低湿地でもあったため、孝徳天皇の時代(652年頃)に淀川の洪水が記録されて以来、百数十回もの洪水が記録されています。豊臣秀吉の伏見城築城に伴う太閤堤築堤の大土木工事により、巨椋池に流れ込んでいた宇治川が切り離されると、半ば独立した湖沼となった巨椋池の洪水の被害は増し、農地の水没を繰り返すようになりました。
明治期になって淀川流域の本格的な治水工事が実施され、宇治川の付け替えが行われると、合流箇所から突出する形で背割堤が設けられ、巨椋池と宇治川は完全に切り離さました。その後の歴史は表1のとおりです。最近では前にもふれたように、2018年の台風21号により桜並木のほとんどが被害を受けて、今後20年程度を目途として計画的に植え替えが予定されています。
表1 三川合流域での洪水や被害の概要
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資料:第4回 摂津市鳥飼まちづくりグランドデザイン策定委員会 参考資料1をもとに作成
 このように三川合流の景観のほとんどは土木工事による人工景観です。涙ぐましい治水工事の結果として、現在の美しく調和した河川景観がつくり上げられているのです。ここに桜並木を見ながらの散策やサイクリング、バーベキューに来る人たちも過去に被害にあわれた方々や工事に携わった人のことも思い浮かべてみて下さい。ほんの少しでいいのです。そして思いっきり楽しんでもらえればいいなと思いました。
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