同志社大学経済学部 原田禎夫
日本人の「魚離れ」が止まらない、と言われています。水産白書によると2021年度の食用魚介類の1人1年当たりの消費量は、23.2kgであり、もっとも多かった2001年の40.2kgから半分近くに減っています。そんな中でも、川魚を食べる機会はさらに少なくなっているのではないでしょうか。この1年間の間に川魚を食べたことがあるかどうかを学生に尋ねてみても、ほぼ全員が「無い」と答えます(本当は白身魚のフライなどでナマズの一種を食べていたりするのですが)。
しかし、元来、日本人は川魚を多く食する民族であったはずです。四方を海に囲まれた日本といっても、川に沿っても多くの町や村が広がっており、海から離れた場所では、むしろ川魚こそが貴重な動物性たん白源であったことは疑う余地もありません。
そんな川の恵みの中でも、多くの人を魅了してやまないのが、「清流の女王」とも呼ばれる鮎ではないでしょうか。姿かたちも美しく、良い香りのする鮎は、夏の日本料理にも欠かせない食材の一つです。
海から離れた京都でも、鮎は珍重されてきました。日本独特の釣りである鮎の友釣りは、京都の八瀬あたりが起源といわれています。また、保津川上流の南丹市日吉町世木地区周辺で獲れた鮎は皇室にも献上される「献上鮎」として最高の鮎との評価を受けてきました。川漁師が獲った鮎は、一晩休ませ朝一番に「鮎もちさん」と呼ばれる担ぎ手が両天秤をかついで山中の道を走って京都まで運びました。世木から神吉、柚子の里として知られる水尾を経て嵯峨に至る道は「鮎の道」とも言われ、随所に清水が湧き、鮎もちさんたちは新鮮な水を継ぎ足しながら京都をめざしたのです。嵯峨・鳥居本にはかつての鮎卸しや茶屋であったお店が今も2軒、当時の姿そのままに残っており、さまざまな鮎料理を楽しめます。
参考リンク:「京都 鮎の道」https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004990544_00000
食通で知られた北大路魯山人は、著書「星岡」の中で「鮎のいいのは丹波の和知川がいちばん」と絶賛しました。和知川は、京都北部を日本海に向けて流れる由良川の上流、現在の京丹波町和知地域での呼び名です。魯山人は、和知川で獲れた鮎を、東京・赤坂の彼の料亭「星岡茶寮」まで生きたまま列車で運ばせた、などという逸話も残っていますが、これは産地直送のはしりとも言われています。JR和知駅前には、その北大路魯山人に鮎を振舞ったお店が今も料理旅館を営まれており、素晴らしい鮎料理を味わうことができます。近くの道の駅にも、夏になると「鮎ガーデン」がオープンし、たくさんの家族連れで賑わっています。
鮎は、キュウリウオ科に分類される魚で、同じキュウリウオ科にはシシャモやワカサギも分類されます。また、キュウリウオ科の魚はサケのように川と海とを行き来する魚でもあります。アユは夏の終わりから秋にかけて、大群で川を下り、河口近くで産卵します。孵化した稚魚は川の流れに乗って海へと下り、冬の間を海岸近くの比較的塩分濃度の低い海域で過ごします。春、京都ではユキヤナギの花が咲く頃に、若い鮎が川を上ってきます。
今ではすっかり食卓からも遠くなってしまった感のある天然鮎ですが、実は淀川水系にもたくさんの鮎が海から帰ってきていることをご存知でしょうか?
今年(2023年)も国交省淀川河川事務所の発表では6月15日現在で48万尾以上の稚鮎の遡上が確認されています。これは2012年以降で4番目の多さでした。今、京都を流れる淀川水系の桂川や鴨川、宇治川、木津川では、多くの市民や研究者、漁協のみなさんが行政機関とも連携しながら海産天然鮎の復活をはじめとした、豊かな川の再生をめざした取り組みを進めています。そうした人々のネットワーク組織である「京の川の恵みを活かす会」では、仮設魚道の設置や堰堤の撤去、産卵床の設置、生物調査といったさまざまな事業に取り組んでいます。
*京都府と大阪府の府境で桂川、宇治川、木津川の3川が合流し、淀川となります。また鴨川は桂川の支流のひとつです。
筆者も、桂離宮のすぐそばを流れる桂川の堰堤で鮎の遡上調査を漁協のみなさんとともに行ってきました。桂川水系には戦後、農業用水の取水を目的とした堰堤が各所に建設されました。魚道も設けられてはいるものの、十分に機能しておらず、鮎の遡上を阻んでおり、資源量の減少が大きな問題となっていました。漁協は琵琶湖産稚鮎の種苗放流でなんとか釣り客を繋ぎ止めてきました。しかし、高価な道具を必要とする鮎釣りは年々愛好者も減り、また高速道路網の整備とともに天然鮎を求めて他地域の河川に釣り客を奪われたこともあって、漁協の経営は悪化の一途を辿っています。
そうした中で、費用をかけずにいわば「タダ」で再生産する海産天然遡上鮎の価値が改めて見直されるようになりました。こうした流れは、熊本県の荒瀬ダム撤去や欧米での脱ダムにも見られるもので、内水面漁業の復活を通じた河川の持つ地域経済活性化という「価値」の再生という見方もできます。
筆者は上流の京都府亀岡市を中心に河川環境保全に取り組むNPO法人プロジェクト保津川の代表も務めていますが、私たちは毎年夏に親子連れを対象に伝統的な鮎漁の体験イベントを実施しています。
ちょうど小中学校が夏休みに入る頃、保津川流域では鮎の網漁が解禁となります。かつては網漁の解禁日には、朝まだ暗いうちから人々が河原に繰り出し、日の出とともに川に刺し網を渡し、下流側から竹竿で水面を叩いたり、石を投げ入れたり、あるいはみんなで川の中をじゃぶじゃぶと歩いて鮎を追い込む「鮎狩り」を楽しみました。
私たちのイベントでは、保津川漁協の川漁師さんたちに手伝ってもらいながら、そんな鮎狩りを体験してもらっています。網にかかった鮎を外す時、子供達はキュウリのような鮎の香りに驚いています。
今では、川で遊ぶこと自体が「危険なこと」とされてしまい、残念なことに子供達は夏休みが始まる前には学校でも「川には近づかない」と教えられています。でも本当にそうなのでしょうか?
もちろん、川には危ないところもあります。ですが、そんな場所を見分けられるようになるには、川で遊ぶことが欠かせません。かつて学校にプールが普及する前は、水泳の授業は川で行われていました。そこでは大人や年長の子供達が、小さな子供達が危ない目に遭わないように目を光らせていました。今ではライフジャケットのように、命を守る道具も安く手にいれることもできます。本当に大事なことは、安全に川で遊べるように大人がきちんと見守ることではないでしょうか。
私たちの鮎狩りのイベントでは、そんな思いから、鮎漁のあとはみんなで川流れも楽しみます。多くのボランティアが子供達の安全を見守ってくれていますが、その大人もまた大いに楽しんでいます。
そしてちょっと疲れたころに、お待ちかね、鮎の塩焼き体験です。
森林ボランティアのみなさんが地域の山で作ってくれた炭や竹串を使って、大人も子供も自分の手で鮎に串を打ちます。私の母方の家は料理屋を営んでいることもあり、手伝いで覚えた「踊り串」の打ち方をみなさんに教えています。最初はおっかなびっくりだった子供達も、魚の体の構造を頭の中でイメージしながら、上手に串を打てるようになります。
化粧塩をまぶして、焦がさないように、じっくりと炭で焼きます。こんがりと黄金色に焼け上がった鮎を頬張るみなさんの笑顔は、スタッフ全員にとっての最高のご褒美です。鮎は川ごとに味が異なりますが、保津川の鮎は脂がことさらに美味しいと思います。頭を下にして串を立てて焼くのですが、そうすると鮎自身の脂で頭もカリッと揚げたように焼けて、余すところなく美味しく食べられます。
魯山人は、前述の著書「星岡」の中で「京都保津川のもよいが、これは土地で生きていてこそいちばんである。」と記しています。また彼は「鮎の食い方」の中で、「美味く食うには、勢い産地に行き、一流どころで食う以外に手はない。一番理想的なのは、釣ったものを、その場で焼いて食うことだろう。」と記しています。
川で獲れた鮎を、その川の河原で焼いて食べる。それはもしかしたら一番贅沢な夏の過ごし方なのかもしれません。
みなさんもぜひ、この夏は川に鮎を食べに出掛けてみませんか?