山元 周吾(喜代七屋)
初めに少し自己紹介します。私は山元周吾といいます。高橋卓也先生のもとで滋賀県立大学大学院を2013年に卒業しました。農林水産に関わるコンサルティング会社に勤めた経験を活かし、現在はドイツと日本を拠点に実家の屋号である喜代七(きよしち)という合同会社と個人事業で仕事をしています。喜代七の名がもつ「七代先まで喜べる事業を」という想いで、特に農林水産・環境分野に関わる事業支援、調査研究、フィールドワーク支援等の活動を自身が楽しんで取り組んでいます。今回の随想はその一環です。
パリオリンピックが閉幕した8月後半、私はスコットランドを訪問する機会を得ました。スコットランドは英国におけるグレートブリテン島の北部に位置し、大きさと人口は北海道と同程度の規模で、その首都は経済学者アダム・スミスや近代都市計画等ゼネラリストのパトリック・ゲデスが活動した地で有名なエディンバラです。スコットランドは1707年にイングランドと合併し、グレートブリテン連合王国と成るまではケルト人のスコット族が独立した王国として独自のアイデンティティを築いてきました。
スコットランドの天候はとても気まぐれです。季節問わず1日のうちに何度も天気が変わり、天気予報がはずれることもよくあります。西岸海洋性気候に属する首都エディンバラは暖流や偏西風の影響により年間を通して気温差が小さく、夏でも平均最高気温が20℃を下回り、夏は涼しく冬は寒さに厳しい地域です。また、季節性変化が穏やかな降水量は東京と比べると3分の1程度であり、強風の日が多いことが特徴的です。スコットランドではこの風を利用した風力発電が積極的に行われていて、郊外を車で走ると数えきれないほどの風車が見られ、海と大草原の風景によく溶け込んでいます。近年では、スコットランドの消費電力の99%が再生可能エネルギー源から供給され、そのほとんどは風力発電によるものです(写真1)。
スコットランドの見どころはなんと言っても変化に富んだ地形が生み出す雄大な自然景観です。特にスコットランド北部にある氷河によって形成されたハイランド地方は湖や森が広がり、観光客も多い地域です。中世から毛皮や魚などの交易拠点として栄えた都インヴァネスはネス川の河口にあり、その上流にはネッシー伝説で有名なネス湖があります。もうひとつ、スコットランドで有名なものにスコッチウィスキーがあります(写真2)。スコットランド各地にウィスキー蒸留所があり、使用する水や麦、ピート(泥炭)や熟成に用いる樽などにより味わいが異なるため、蒸留所ごとのウィスキーを楽しむことができます(写真3)。ウィスキーの語源はケルト語派に属するゲール語のウィスケ・バーハで「生命の水」を意味し、ゲールは英語では「強風」を意味します。この点においても言語が文化や風土と関係が深いことを感じます。
2024年8月現在、スコットランドには6つのユネスコ世界遺産があり、その内のひとつに2001年に文化遺産に登録されたニューラナークがあります。ニューラナークは18世紀末頃、世界でいち早く産業革命を成し遂げた英国において、過酷な環境で労働を強いられていた労働者のために造られた共同体でした。特にこれといった特徴がない田舎町がなぜ世界中から観光客が訪れる場所になったのか。それは空想的社会主義者(utopian socialism)と評されるロバート・オーウェンという人物の活動が関係しています。ニューラナークには、産業革命期に建てられた紡績工場と労働者用の住宅地があり、当時では常識だった児童労働や長時間労働もあり、この工場で英国一の繊維生産量を誇りました。オーウェンが紡績工場の経営者としてニューラナークに居を構えたのは27歳の頃で、その後共同経営者の娘と結婚し、渡米するまでの約15年間をここで自身の理想郷を実践していきました。オーウェンの取り組み、つまり工場の生産活動だけではなく労働者の劣悪な労働条件の改善、社会保障、幼稚園や、学校とコミュニティセンターの要素を兼ねた「性格形成学院(Institute for the Formation of Character)」の設立(写真4及び5)など教育環境の充実に取り組み、ニューラナークは自身が理想としていた社会の実現を目指すための「モデルコミュニティ」の場としてその情熱を傾けました。ここはロバート・オーウェンが運営した工場群とそれに付属する様々な施設が集合体となり、現在でも200名程度の住民がいるひとつの村を形成しています。
もうひとつこの場所で特徴的なのが、水量豊かな「クライド川」の存在です(写真6)。ニューラナークが立地する場所はクライド川が長年の歳月をかけて作り出した天然の渓谷地形で、村のどこにいても水の流れる音が聞こえます。ニューラナークの紡績工場と共同体は、元々は水力紡績機を発明したリチャード・アークライトとデビット・デイルが1785年に共同で設立する頃から始まりましたが、アクセスが悪い谷の奥深くにある沼地にも関わらずデイルが工場の敷地としてこの場を選んだ理由は、安価で豊富な自然エネルギーが利用できる環境があったからでした。クライド川は峡谷を流れ、水が豊富で流れが速い、水車を動かすのに理想的でした。水車は工場の地下にあり、クライド川から取水された水が水路を通じて供給され、各シャフトからギアやベルトドライブ等のシステムによって車輪からの動力を機械に伝達しました(写真7)。ニューラナークの工場が設立されてから約100年間、クライド川の自然エネルギーは工場の地下にある巨大な水車で利用され、19世紀末にかけてより効率的な水車に置き換えられてきました(写真8)。19世紀初頭には他の多くの紡績工場では蒸気動力が採用されていましたが、ニューラナークでは1873年に初めてバックアップ動力源として蒸気エンジンを導入しました(写真9)。その後、紡績工場は1968年に閉鎖されるまで、機械を動かすために水力発電を続けました(写真10)。紡績工場が設立され閉鎖されるまで、動力源はクライド川からの取水による水力であり、ニューラナーク発展の歴史はこの川の水利用から始まっています。
ロバート・オーウェンは28歳の時にデイルの娘婿となりニューラナークの経営権を譲り受けました(写真11)。この場所に立ち、当時のニューラナークの状況を想像するとき、オーウェンがなぜこのニューラナークで自身の理想郷を実現させようとしていたのか、その源となる原動力と当時からすると先駆的とも言える環境、社会、経済を一体のものとして考える、その考え方に関心を持ちました。オーウェンは晩年に自叙伝を執筆しています。彼が初めてニューラナークを視察した際に、ここの事業の詳細をまだ知らないにも関わらず、こう友人に話しています。「今まで見てきたどこよりもここを選びたい。今まで長らく考えぬいて実行の機会を求めてきたひとつの実験を試みるには。」。また、ニューラナークの総支配人時代を振り返りこう記しました。「人間の性格がよりよく形造られ、社会がよりよく組立てられ、統治されうるのは、虚偽と詐欺と力と恐怖とにより、人間をばたえず無知におき、迷信の奴隷としておくことによってであるか、ないしはまた、人間性に関する正確な知識に基づく真と慈しみと愛とにより、または全ての社会制度をこの知識に調和さして形造るによってであるか、を究明せんがためであった。」オーウェンは自叙伝の中で、何度もニューラナークの労働者に対する環境改善の重要性に触れています。
工業生産性が著しく向上した一方で、資本家による労働者の酷使など社会問題が大きくなっていった産業革命期の時代、スコットランドのニューラナークではデイルやオーウェンらによって工場労働者の福祉にも重点を置きながらコミュニティとしての理想を目指す姿がありました。現在、工場の屋上にはオーウェンの言葉を記した真鍮の銘板があります(写真12)。‘Nature requires its own time to mature all things, whether mineral, vegetable, animal or mind and spirit.’「鉱物、植物、動物、心や精神さえ、自然はすべてのものを成熟させるのに時間を必要とする」という考え方は、経済と社会だけではなく、それらの基礎である自然環境そのものへの高い意識を持ちオーウェンは自身の理想郷を志したのではないかと感じました。
現在では、ニューラナーク周辺の森林や河畔林は野生保護区で水辺のウォーキング等のアクティビティも盛んなので、訪問される際には工場見学だけではなく、クライド川の音を聞きながらオーウェン達が生きていた時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。