大阪公立大学現代システム科学域 遠藤崇浩

 ここ数年、災害用井戸の研究を行っています。大規模な自然災害により水道インフラが損傷すると断水が起こります。災害用井戸はそうした時に地域にある井戸-たとえば家庭・工場・神社などにある井戸-を近隣に開放し、断水被害の軽減を図るしくみです。かねてより災害時に井戸は役立つと言われてきましたが、実際にどのように活用されたかはよくわかっていませんでした。その理由として、公的データの欠如が挙げられます。災害時の地下水利用は井戸を持つ住民による近隣同士の助け合いという形をとります。ひとたび断水が起こると、自治体職員は住民からの問い合わせ、給水車の手配等で多忙を極めるため、仕事の合間をぬって地域で使われている井戸の記録を残すことはほぼ不可能です。こうしたことから被災自治体が後世への記録として発行する『災害対応誌』などの記録集を見ても、井戸利用の情報が掲載されていることはかなり稀です。
 こうした実態不明の井戸利用をリアルタイムで観察する機会を得ました。令和6年能登半島地震です。震災の約1か月後、石川県七尾市中心部で現地調査を行いました。七尾市は今回の地震において戸数面で最大の断水被害が生じました。2万戸以上の家が断水となり、断水解消までおよそ3か月かかりました。訪問当時、七尾市はまだ断水下にあり、市内各地で井戸水の提供が行われていました。七尾市中心部は京都市のように碁盤の目の構造をしています。この通りを一つ一つ歩き、井戸が実際に使われている場所をプロットしていきました。その結果、59箇所で井戸の開放が行われたことが判明しました。
 現地調査では被災者から「住民の知恵」を数多く教えていただきました。市内には写真1のような井戸水提供スポットがたくさんありました。当初は水の受け皿となる容器(写真1では青いコンテナ)の存在を気に留めていなかったのですが、ある鮮魚店の店主がその隠れた機能を教えてくれました。その店主は震災直後から水道の蛇口(井戸につながっている)に短いホースをつけて水を配り始めたそうです。しかしこの方法だと一度に一人しか汲めません。そのためペットボトルや給水袋に水がたまるまで時間がかかり、結果として長い行列ができてしまったそうです。そこでお店で使う大きなプラスチック樽を置きました。井戸水をその樽に貯めておくと、そこから一度に複数の人が水を汲めるためです。ひしゃくと三角漏斗(ろうと)を使うとさらに効率的に水を汲めると仰っていました。この話を聞き井戸と容器という組みあわせの意味が初めて腑に落ちました。

写真1:七尾市内の井戸水提供スポット

 写真2も地域住民の柔軟な工夫の産物です。この井戸は地元小学校の校長先生のご自宅にあるものです。校長先生の話によると、地震翌日の1月2日の朝、玄関が騒がしいので見てみると、既に井戸水を求めて行列ができていたそうです。井戸は自噴ですが、普段使いはしていないため、水をそのまま排水溝に流していました。このため井戸水のパイプ出口がU字排水溝の底辺部にあり、水を汲むには不便でした。しかし数日経ってみると、いつのまにかパイプが垂直方向に延長され、水汲みがしやすいように改良されていました。また夜間に水汲みに来る人のために懐中電灯が備え付けられました。写真にある白いビニール袋がそれです。さらに風よけのブルーシートがかけられ、さらに食器を洗う人のために洗剤が持ち寄られました。こうして井戸空間は地域住民により徐々に快適なものに変化していったそうです。

写真2:地域住民が工夫を重ねた井戸空間

 住民の知恵は井戸の配り手側だけでなく、井戸水の貰い手側にもあります。これも先述の校長先生から伺った話ですが、当初、先生のご自宅の井戸には長い行列ができたのですが、そのうち並ぶ人も「あの時間は混んでいるので避ける」というように、来るタイミングを各自で調整するようになりました。また断水の頃の日常会話には水に関する話題(どこの井戸を使っているか、どこのお風呂に入りに行っているかなど)が多かったそうです。おそらくこうした住民同士の情報交換で、それぞれが使い勝手のいい井戸をいくつか見つけたのだと思います。こうした情報をもとに、ちょうどスーパーのレジで列が長いと隣のレーンに移動するような感じで、井戸利用が分散していったと考えています。
 こうした井戸をめぐるネットワークは社会関係資本の一種と見なすことができます。一般に社会関係資本は個人及び共同体に正の影響を与える社会参画と定義されるものです。近年では家族間や近隣住民間のネットワークが災害発生後の救出、物資支援、メンタルサポートなど広範囲な局面で重要な役割を果たすことから、災害研究への応用が進んでいます。
 断水というと地震を思い浮かべますが、実は水害時にも発生します。能登半島では正月の地震に続き9月末の豪雨災害のために、一年に二度断水に陥った場所も多いと伺っております。災害時の井戸利用の重要性は工学的な見地から提唱されることが多いのですが、社会関係資本といったレンズを通せば人文・社会科学分野の研究テーマにもなります。近年、日本では大規模災害が頻発していますが、被災者に迷惑がかからない範囲で少しずつ災害時井戸利用のデータを蓄積してきたいと考えております。
 最後になりますが七尾市での調査では井戸の持ち主に聞き取り調査を行うと同時にアンケートを配布しました。その結果は遠藤崇浩・柿本貴志『令和6年能登半島地震における災害時地下水利用アンケート調査報告書(石川県羽咋市・七尾市)』にまとめてあります。大阪公立大学学術情報リポジトリを通して公開していますので、ご関心のある方はぜひご覧ください。

刊行物
お問い合わせ