愛国学園大学 梶原 健嗣
2026年の水資源・環境学会Webサイト内「随想」、その1つめを任されることになりました。ただの偶然ですが…。せっかくなので、先月刊行した本のことを書いてみようと思います。書いたのは、岩波ブックレットです。タイトルは『大水害時代の防災―命を守る「治水」へ』(岩波書店、64頁、570円+税)です。

目次は上記のとおりで、全6章。これにコラムを3つ用意しました。図1のとおりです。内容を紹介してしまうわけにはいかないので、ここではどういう経緯で本を出すに至ったかを書いてみます。
直接のきっかけは、岩波書店の『世界』でした。2025年5月号(4月発売)に、「連続する「未曽有の水害」―水害統計調査の意味を問う」という論考を書きました。内容的には、20年前に『世界』誌上で展開された「基本高水論争」に対する、20年後のお返事でした。
ご存知ない方のために簡単に記しますと、2004年10月の『世界』に、「脱ダムを阻む『基本高水』―さまよい続ける日本の治水計画」という論考が掲載されました。著者は、新潟大学教授(当時)の大熊孝氏です。この論考に対し、福岡捷二氏(中央大学教授)が「大熊孝氏の『脱ダム』治水論を批判する」という論考を書きました(2005年2月号)。この反論に対し、大熊氏が2005年6月号で、「川とは何か、洪水とは何か 福岡捷二氏の二分的治水論に反論する」を、2005年12月号で福岡氏が「治水の計画とは、河川の管理とは 治水は合理的に論ずべき」を記しました。この反論・再反論の間には、今本博健氏が「これからの治水のありかたについて 基本高水をめぐる大熊・福岡論争を読んで」を10月号に掲載しています。このような形で、一般誌で治水の論議が1年以上にわたって継続されるという、非常に珍しい展開になりました。
論争のなかで最大の主題となったのは基本高水流量の科学性です。簡単に言えば、①引き伸ばし計算(想定豪雨の作成方法)、②流出解析、特に運動方程式の妥当性(貯留関数法)、③計算結果の妥当性などが論争のテーマでした。
しかし、大熊氏が最初の論考で、もう1つの問題提起をしていました。それが治水計画の実現可能性です。基本高水流量を中心に定められる治水計画―洪水処理計画は実現可能なのか。果たして現実に、計画が要求するだけのダムを造ることができるのかという問いかけです。論考タイトルでいうと、「さまよい続ける日本の治水計画」という部分ですが、私にとっては、この点の方が印象的でした。ちょうど河川・ダムの研究をしてみようと思った時期でもあり、この問題は、私にとって研究の原点ともいえる問いになっています。
この問題に対する「20年後のお返事」を書いたのが、先の『世界』論考でした。内容は、「残念ながら、治水計画の実現可能性は、20年前以上に厳しくなっています」というものでした。その一番の理由は、政策の最大の与件たる財政制約が厳しくなってしまっているからです。気が付けば国債の発行残高は、とっくに1,000兆円を超え、2025年現在の残高は1,129兆円です。このような状況で、高度経済成長期に建設したインフラの更新を迎えます。インフラ更新というと、2025年1月の八潮市道路陥没事故が記憶に新しいところですが、インフラとしては後発組の下水道であのようなことが起きたのは、衝撃的です。道路、橋梁、上水道など先発組のインフラを加味すれば、話の深刻さがわかります。
この点を『世界』論考では、下記の図を紹介して言及しました。図2は2009年の国土交通白書に掲載されたものを当方で書き直したものです。当時の公共事業予算(8.3兆円)が、今後も維持されると(楽観的に)考えたとして、増大する更新費/維持管理費に圧迫され、どれだけ新規投資可能額が減少するかというグラフです。2037年以後は、更新費/維持管理費に圧迫される形で、新規投資可能額が(このままでは)確保できなくなるというものでした。八潮市道路陥没事故を経験した私たちには、この試算の意義を評価できると思います。

平成21年度国土交通白書をもとに、筆者作成。
(拙稿「連続する「未曽有の水害」―水害統計調査の意味を問う 」『世界』No.933、p151に同図)
論考では、もう1つの問題を取り上げました。それは、水害の死者統計です。水害には「害」という字が含まれているように、「被害」ベースで考えるものです。洪水は自然現象、水害は社会現象と称されるゆえんですが、そのような被害のなかで最たるものは人的被害です。それは人的被害には、不可逆性があるからです。
人的被害の最小化は、治水に限らず、およそ防災政策の柱のはずです。当然、それに関する統計はしっかりとしたものがあって然るべきです。いつ、どこで、誰が、どのような形で(原因/状況)亡くなったのか。その点を踏まえ、防災政策はたてられるべきです。しかし、水害ではその点が全く欠如しています。
政府の主要統計を集めた、e-Statというポータルサイトがありますが、収録対象統計の中に国土交通省が行っている「水害統計調査」があります。同統計では、経済的被害については実に詳細とまとめられており、毎年ほぼ200頁を超えます。しかし人的被害は、統計のなかで1頁。統計冒頭にまとめられる「〇〇年水害被害額の概要」のなかで、3行(死者、行方不明者、負傷者)が記されるだけです。地域別、性別、年齢、その他属性を欠いた数字だけの人的被害がぽつんと3行示されるに過ぎません。
注)最近になって、個別の水害で、性別、年齢、その他属性を記した被害統計が公表されるようになってきました。インターネットで探すと、2018年の西日本豪雨などで、そうした統計が見つかります。しかし、属性を記した被害統計は、このような個別水害単位のもの。言い換えれば、個別的・断片的なものに過ぎません。系統だって統計が整備されておらず、長期的に見てどういう傾向にあるのか、その傾向に変化はあるのかなどを分析する手掛かりがありません。ご確認頂けるように、下記に表1を記します。
表1:水害統計調査「令和5年水害被害の概要」

ちなみに、この点に筆者が気づくきっかけは、『水資源・環境研究』における依頼原稿でした。簡単に記しますと、30巻2号(2017)で水資源・環境研究 30巻を振り返ってという特集を組んでいます。特集の趣旨は、編集委員長の伊藤達也氏が「水資源・環境研究の過去と未来」で記しており、詳細はそちらを参照して欲しいのですが、過去の同誌掲載論考につき、学会メンバーで「読み直し」をしました。私の担当は、足立敏之[1997]「転換期の水政策―河川法の改正と今後の河川環境の保全と整備」『水資源・環境研究』Vol.10で、これに「『水害統計』と人的被害把握の欠落―河川法改正20年に寄せて」というタイトルを付けて、20年後の読後感を記しました。その論考を記すなかで、上記の事実に気が付きました。
そのような経緯で記した「連続する「未曽有の水害」―水害統計調査の意味を問う」『世界』2025.5を読んでくれた編集者さんから、恩師を経由して、今回のお話を頂戴しました。最初に伺ったことは、河川、水、ダムに関するテーマで最近岩波ブックレットは全然出せていないこと、けれども気候変動の影響を受けて水害に関する世間の関心は高まっており、その間を埋める本を出したいということでした。
確かに、私の蔵書を見ても、岩波ブックレットで出されたのはこのあたりで、長らく刊行が止まっています(表2)。1990年代以降、公共事業批判の文脈で刊行されたことが見えてくるリストです。気が付けば大熊孝氏らが出した『首都圏の水が危ない』から20年近くが経っています。
表2:岩波ブックレット(河川、水、ダム関連)

そういうなかで、「今日、水害をテーマにしたブックレット」を出す意味を、最初の打ち合わせで編集者さんが説いてくれました。そこから半年、幾度となく書き直しをして書き上げたブックレットでした。ブックレットという書籍の性格上、専門用語などは避けて、平易に、わかりやすく書くことに努めました。「易しく書くということが、どんなに難しいのか」、それを改めて実感した半年でした。
最後に、半年間伴走してくださった編集者さんの帯を紹介して、このブログを終えることにします。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
気候変動の下、私たちは未曽有の水害が日常化する時代を生きている。能登半島豪雨、熱海の土石流災害、そして都会を襲うゲリラ豪雨……。近年、毎年のように大規模な水害に見舞われているにもかかわらず、日本の治水は未だにダム中心の発想に囚われたままだ。いま求められる治水のあり方とは? 命を守る視点からの提言。