野田 岳仁(法政大学)
政策として広がる防災井戸
近年、防災井戸への関心が高まっている。能登半島地震をはじめとする大規模災害時には、断水が広域かつ長期化することが広く認識されたからであろう。飲み水だけでなく、体を拭いたり、トイレを流したり、洗濯といった生活用水をどのように確保するかは、地域防災にとって重要な課題である。その意味で、地域のなかに利用可能な井戸を確保しておくことには、大きな意味がある。
こうした関心は、今後さらに高まっていくと思われる。令和7年6月に閣議決定された「第1次国土強靱化実施中期計画」では、「地方公共団体における災害用井戸・湧水等の活用」が推進施策として位置づけられている。そこでは、公共または民間の災害用井戸等の代替水源確保の取り組みを行っている市区町村の割合を、令和6年度の28%から令和12年度には100%へ引き上げる目標が示されている。また、防災公園における災害時に活用可能な給水施設の確保率についても、令和4年度の28%から令和12年度には50%へ引き上げる目標が掲げられており、その一環として非常用井戸等の整備が想定されている。防災井戸は、今後ますます各地で整備・活用されていくことになるだろう。
こうした方向性は、すでに令和7年3月に、内閣官房水循環政策本部事務局と国土交通省水管理・国土保全局水資源部が発行した『災害時地下水利用ガイドライン―災害用井戸・湧水の活用に向けて』にも示されている。同ガイドラインは、防災井戸の整備と運用の重要性を呼びかけるものである。
その後、改訂版も発行されたが、このガイドラインは、基本的には「非常時対応」としての機能確保を中心に据えたものであり、「日常利用」についてはなお補足的な位置づけにとどまっているようにみえる。そのため、防災井戸をどのように日常に根づかせるかについては、なお検討の余地があろう。いざというときに水が出るということは、普段から水が出ていることでしか保証されないからである。日常的に利用されていない井戸は、水質が悪化したり、砂が詰まったりして、結局、災害時に役に立たないことを、私は各地の現場から教えられてきた。じつは、このガイドラインの策定前に、国の担当者が私の研究室に相談に来られたことがあり、その際にも、日常利用の重要性をお伝えしたところである。
じっさいに、各地で整備されはじめた防災井戸のなかには、災害時という非常時だけを想定しているために、平時には十分に使われていないものも少なくない。都内のある公園では、手押しポンプの井戸が整備されているにもかかわらず、手押し部分が外されたままになっている。災害はいつ起こるかわからない。平時から使える状態に保たれていなければ、いざというときに地域の水場として機能するとはいえないからである。
日常に根づく「井戸端」としての井戸
では、防災井戸が日常に根づく条件とは何だろうか。私が各地の水場を歩くなかで現場から教えられてきたのは、井戸を日常に根づかせるためには、単一の機能だけでは不十分だということである。井戸は、単に「水が汲める」場所であるだけではない。かつての井戸端は、水汲みの場、台所や洗濯場、子どもの遊び場、地域の社交場や憩いの場でもあった。そこでは、世間話や情報交換がなされ、ときに噂話もしながら、子育てや近所づきあい、家事の仕方など、生活の知恵を学ぶ場所であった。つまり井戸端とは、水の資源的価値だけでなく、人びとの関係を育む社会的価値を内包した、多機能な地域空間だったのである。
拙書『井戸端からはじまる地域再生―暮らしから考える防災と観光』(筑波書房)では、このような井戸端の社会的価値に注目し、防災井戸を単なる非常時の水源としてではなく、平時から地域の人びとがかかわる「井戸端」として位置づける必要性を論じた。その後も各地で同様の視点から提言を重ねてきたが、近年では、こうした考え方に通じる取り組みも広くみられるようになっている。
たとえば東京都国分寺市では、市内の公園に整備された防災井戸を災害時の生活用水の給水拠点としてだけでなく、平時には地域の憩いの場として活用することが呼びかけられている。さらに、定期的に井戸端会議というかたちで、井戸の清掃や簡易水質検査、ポンプの手入れを行いながら、防災・防犯、地域の情報、ご近所の話題を交わす取り組みも行われている。
このような取り組みをみると、防災井戸を日常に根づかせるということは、井戸を単に整備することでも、災害時の水源として指定することでもないことがわかる。日常のなかで人びとが集い、水に触れ、手入れし、語り合う機会をつくることによって、防災井戸は、現代の井戸端として立ち上がるのである。
子どもたちの遊び場としての「井戸替え」
神奈川県横須賀市浦賀地区で調査をしていたとき、このことを考えさせられる事例に出会った。浦賀地区では、地域の共同井戸が市の災害時協力井戸に指定されている。しかし、同じように防災井戸に指定されていても、その後のかかわり方には違いが生じていた。
ある町内会では、井戸は防災井戸として位置づけられていたものの、10年以上にわたって井戸替えが行われなくなってしまった。防災井戸という役割が与えられたことで、井戸は災害時に水を汲む場所として位置づけられた一方、日常的な利用や記憶を生み出す機会は、かえって弱まってしまった。井戸が、災害時に水を汲むという単一の機能に近づいてしまったからである。
一方、別の町内会では、毎年の井戸替えが継続されていた。そこでは井戸替えが、単なる清掃や点検にとどまらず、子どもたちにとっての水遊びの場にもなっていた。現在の大人たち自身も、子どもの頃に参加した年に一度の井戸替えを、楽しい記憶として覚えている。そして今度は、自分たちの子どもたちにも同じ経験をさせたいと、ポンプで汲みあげた井戸水を浴びさせていた。子どもたちは、勢いよく出る井戸水を浴びながら、歓声をあげて楽しむ。水に触れ、井戸をのぞき込み、地域の大人たちと一緒に過ごす。その経験は、子どもたちにとっても楽しい記憶として残っていく。
ここで重要なのは、井戸替えという維持管理の作業と、子どもの水遊びとが互いに切り離されていないことである。井戸を維持するための作業が、子どもたちにとっての楽しみとなり、その楽しみがあるからこそ、井戸替えもまた続いていく。防災意識にもとづいて井戸を維持しているというより、子どもたちにとっての年に一度の楽しみが、結果として井戸を維持する力にもなっているのである。井戸替えは、世代を超えて水場の意味を共有する機会になっていた。

(2024年7月筆者撮影)
この対比は、防災井戸を日常に根づかせるうえで重要な示唆を与えてくれる。防災井戸を「災害時に水が汲める場所」という単一の機能に閉じ込めてしまうと、平時のかかわりは生まれにくい。むしろ、子どもの遊び場、地域の社交場といった複数の機能を維持する井戸は日常のなかに位置づいていく。多機能性を備えた井戸だからこそ、人びとはかかわり続け、井戸端は存続するのである。
防災井戸を「井戸端」にすること。それは、災害時の備えを強めるだけでなく、平時の地域のつながりを育てる取り組みでもある。防災井戸を非常用装置として閉じ込めるのではなく、日常のなかで人びとがかかわり続ける場所として開いていくこと。そこに、これからの地域づくりの手がかりがあると考えている。