梶原健嗣(愛国学園大学)

 年末に神戸を訪ねた。目的は、執筆中の『都市化と水害の戦後史』(仮称)の1節、阪神大水害の調査である。阪神大水害というのは、1938(昭和13)年7月、神戸市を襲った水害で、兵庫県での死者・行方不明者は715名、このうち神戸市が616名だった。

折からの台風に刺激された梅雨前線は神戸市、西宮市などに集中豪雨をもたらした。神戸測候所で記録された降水量は、7月3日が49.6mm、4日が141.8mm、5日が270.4mmと、3日間総計雨量461.8mmの大豪雨となって同地域に大きな被害をもたらした(神戸市ホームページ)。下記・図1がその等降雨線図である。

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【図1】 阪神大水害時の降雨量(7月3日~5日間合計)
神戸市『神戸水害誌』(p129)を筆者で彩色し、転載

 阪神大水害時の雨量は、それまでの水害の2~3倍に達するもので、吸水の限界を超えた六甲山系の山々は随所で崩壊、巨大な岩石や大量の土砂、樹木が、山から襲いかかった。山崩れを起こした箇所は、兵庫県立工業学校の『表六甲地方の山津波』が2,896ヶ所(同、p22)と伝え、神戸市『神戸水害誌』では千数百カ所だという(同、p170)。後者には山地の崩壊面積らも記載されているが、これによると山地崩壊面積は1,672,846m2に及び、その崩壊土砂量は1,583,300立方坪(=9,513,599m3)に達したという(同、p232)。崩壊が大きかったのは、六甲谷(245,275m2、367,912m3)と再度山(219,823m2、175,858m3)で、前者が東部(旧住吉村を含む)の、後者が市内中央部の土石流災害の大きな原因となっている。

神戸市は、1889(明治22)年に市制がしかれた。大水害の時点では、灘区、葺合区、神戸区、湊東区、湊区、兵庫区、林田区、須磨区の8区で総面積は83.06km2、現在(557.02 km2)の1/7程度である。現在の東灘区(当時は武庫郡御影町、住吉村など)、垂水区(当時は明石郡垂水町)、北区(当時は武庫郡山田村や有馬郡有馬町など)、西区(当時は明石郡伊川谷村など)は、神戸市外である。そのため、当時の五大市(横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市)のなかで最少面積である。それでも当時の人口は96万3,800人、大水害の翌年には人口100万人を突破するなど、急激な人口増加が続いていたのが当時の神戸市である。

訪ねたのは、この大水害の慰霊碑(写真1)がある雪御所公園(神戸市兵庫区雪御所町17-17)などである。雪御所公園は石井川と天王寺川が合流し新湊川となる合流地点にあり、雪御所という地名は、かつて当地に平清盛が雪見御所を設けたことに基づく。雪御所公園に阪神大水害の慰霊塔が建っているのは、この地域が最大の被害地だったからである。

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【写真1】 阪神大水害・慰霊塔(雪御所公園)
2021.12.29筆者撮影

 新湊川は、ここ(雪御所公園南、菊水橋地点)から流路を西に転じる。新湊川は、会下山をくり抜いた湊川隧道を流れて刈藻川に合流する。ちなみにだが、この湊川隧道も貴重な土木遺産である。湊川隧道(写真2)は1901(明治34)年竣工で、日本初の河川トンネルとしても有名である。もっとも、その湊川隧道も阪神大震災(1995)で大きな被害を受け、バイパストンネルである新湊川トンネル(2000年竣工)にその役割を譲る形になっており、普段は閉鎖されている。現在では、第3土曜日に隧道内でミニコンサートが開かれ、土木の日(11月18日)前後に隧道内が歩けるようになっていると聞いた。

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【写真2】 湊川隧道跡
2021.12.29筆者撮影

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【写真3】 新湊川(菊水橋下流地点)
2021.12.29筆者撮影

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【図2】 新旧湊川の流路
兵庫県ホームページ(湊川の流路)より、転載
https://web.pref.hyogo.lg.jp/kok11/ko05_1_000000016.html

 こうして旧湊川が流路変更されたことで、新たに開発されたのが湊川新開地で、映画館や芝居小屋が集中する繁華街として発展していった(兵庫県ホームページ「湊川流路の変遷」)。阪神大水害の被害は、この新旧湊川の流域である。当時の区割では湊東(そうとう)区となるが、湊東区は2.04km2と市内最小ながら、死者268名、重傷者24名,軽傷者240名と、大きな被害を受けた。なかでも荒田町3丁目は、死者103人、重軽傷者139人のほか、家屋流出60戸、倒壊813戸、半壊321戸にも及んだ(神戸市『神戸水害誌』、p218)。「荒田」という地名からも、水害常襲地だと推測されるが、この阪神大水害でも大きな被害を受けた。

最後に、この阪神大水害については国土交通省(https://www.kkr.mlit.go.jp/rokko/S13-2/index.php)によるデジタルアーカイブが素晴らしい。証言記録のほか、新聞記事、写真、映像(白黒フィルム)、また記録集(PDF化)が数多くそろっている。記録集は、甲南高等學校々友會編纂『昭和十三年七月五日の阪神水害記念帳』、兵庫県立工業学校『表六甲地方の山津波 昭和拾参年八月実地調査』、神戸市『神戸市水害復興 勤労奉仕記念』ほか、様々ものが収められている。

写真なら、神戸市ホームページ(https://www.city.kobe.lg.jp/a44881/bosai/disaster/flood01/flood03/01_s13daisuigai/index.html)にも掲載があり、土砂で埋まった国鉄住吉駅一帯(No.16)、六甲ケーブル・清水駅(No.20)、土橋駅(No.21)の崩壊、「濁流と流木が押し寄せる省線三ノ宮駅」(No.23)、「そごう百貨店前の神戸市三宮交差点を洗う激流」(No.26)、「豪雨で土砂に埋まった阪急三宮駅」(No.32)など神戸市の中心部を襲った土砂災害の様子が写真で紹介されている。

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